明治末期、旧香港上海銀行の支店として建てられた煉瓦造の洋風建築物で、隣に建てられていた「長崎ホテル」とともに、居留地時代の大浦海岸のランドマークであった。設計は明治から昭和にかけて活躍した建築家・下田菊太郎で、現存する唯一の作品とも言われている。支店閉鎖後は警察署や民族資料館等として活用されていたが、昭和末期、長崎市は建物を取り壊す方針を打ち出した。しかし、市民の熱烈な保存運動により7万を超える反対署名が集まったことで市は方針を一転し、国の重要文化財として指定され、保存整備を経て公開活用されるに至った。現在は、1階はホールと売店、2階以上は博物館となっている。