長崎居留地とは

当時の長崎居留地

海外と交易が制限されていた江戸時代、長崎では出島や唐人屋敷に外国人が滞在できる場所がありました。それが外国人居留地です。

安政の開国により横浜や函館などとともに長崎も開かれ、大浦から新地・出島付近までの埋立地と、背後の東山手・南山手の斜面地に外国人居留地が設けられました。一帯には洋風建築物が並び、ホテルや各企業、領事館などが立地しました。鉄道、ボウリング、気球、サイダーなどの日本発祥の地にもなっています。西欧の文化や技術を学ぼうと、当時の若者が全国から長崎に集まり、居留地で暮らす外国人と協力して日本の近代化に貢献しました。

現在でも数多くの洋館が残り、それぞれ国宝などや世界遺産などの文化財として後世に伝え残していく存在となっています。この歴史や遺物をまちづくりに活かそうと、2001年に「長崎居留地まつり」がスタート。参加した市民が居留地の存在を再認識するきっかけになっています。

近年は地域外から居留地エリアへ移住してくる若者も増えました。地元の人たちと一緒になって地域の宝を守り育てていこうと、洋館や空き家の新たな活用策を練ったり、地域行事を担ったりして、居留地に新しい風を吹かせて頑張っています。