「若者の表現や挑戦の拠点へ」居留地の文化を次世代に繋ぐ【長崎居留地歴史まちづくり協議会会長 桐野耕一さん】

記念すべき第1回目の「ひと」コーナーは、長崎居留地まちづくり協議会会長や長崎居留地まつり実行委員会委員長などを務める桐野耕一さん。

 桐野さんは長崎居留地エリアの南大浦地区で生まれ育ち、現在も呉服店を営む傍ら、長年、長崎居留地のまちづくりの活動に関わっている。

 最近、長崎居留地エリアでは、市民活動団体や若者、移住者など、様々な人がまちづくり活動に関わるようになっているが、そのきっかけとなったのが桐野さんが仕掛けた「長崎居留地まつり」や「長崎さるく」だ。桐野さんに当時のお話を伺った。

地域の若者として居留地まつりを存続

 「1996年、地域の若手の集まりである『大浦青年会』に所属したことが、まちづくり活動の第一歩でした」と桐野さんは振り返る。地域のイベントや自治会活動を手伝いながら、「長崎居留地まつり」への関わりを機に本格的にまちづくり活動に取り組むようになった。関わり出した当初は、市役所が企画したイベントを地域側で運営するというスタイルだったが、「地域の人が自主的に動かないとまつりが盛り上がっていかない」という想いから、大浦青年会が運営を担うようになり、桐野さんが企画部会長となった。

 しかし、まつりを続けるうちに、市の財政状況から予算を10分の1に大幅削減される事態に直面。桐野さんは「少ない予算の中でも、長崎市内の人たちに居留地の魅力を楽しんでもらい、居留地が素敵な場所だと思われるまつりを作る自信はある。何としでも居留地まつりは続けたい」という熱い思いを胸に行動する。

 2001年、それまで行政の予算ありきだったまつりの企画運営を大幅に見直し、地元企業から協賛金を集め、企画を担当する市民活動団体を募るなど、市民主体で企画運営する新たな体制を提案。それまでまつりを担ってきた地域の先輩方から相当な反対意見があったものの、説明を重ねて何とか理解してもらい、新たな体制で長崎居留地まつりをスタートさせた。

長崎のまちを「さるく」博覧会

 さらに長崎居留地を大きく変えた出来事が、「日本初の街歩き博覧会『長崎さるく博’06』」だという。

 2003年、観光の低迷に悩む長崎市役所は3年後に何らかの大型イベントを開催することを決定していたが、肝心の「何か」という内容が決まっていなかった。桐野さんは市民プロデューサーとしてこのプロジェクトに参画することになった。当時、与えられた題目はただ1つ「お金をかけずに人を集めるイベント」。企画の内容を決めるために1年かけて関係者が集まり何度も議論を重ねた結果、「長崎のとびぬけた世界とのつながりや珍しい文化、景観に注目して、もっと自分の街を見つめれば面白いことができるかも…街を歩こう!」ということで意見がまとまり、「そこに暮らす人々が長崎を思いっきり宣伝して、愛している想いを表現する博覧会」をコンセプトに長崎の街をガイドする企画「長崎さるく博」が生まれた。

 2006年、「長崎さるく博’06」が4月1日から10月29日までの212日間開催され、のべ1,000万人以上が参加した。そこでは、プロのガイドが小難しい歴史を語るのではなく、公募された市民ガイドが自分たちの暮らしや営み、小さい頃の思い出、街の未来像を参加者に語る、そんな風景が長崎市のいたる場所で生まれた。

 数あるエリアやコースの中でも、桐野さんらが中心となって企画運営を行なった「長崎居留地」を選ぶ参加者が群を抜いて多く、改めて居留地の素晴らしさと可能性に気づくことができたという。これを機に、大浦青年会のメンバーを中心に、長崎居留地のまちづくり活動は加速していった。

 やがて、この博覧会は現在の通年型の「長崎さるく」となった。桐野さんはコースの考案やガイドとして、現在に至るまで20年以上携わっている。「長崎のまちを活かし、その土地のひとも活かす」。強い志があれば力を貸してくれるという長崎の人間性が、成功のカギになったと桐野さんは語る。

灯りと歌で居留地に恩返し

 2003年、大浦青年会のメンバーは「まつりやイベントで得た収益を地域に還元できないか」と考え、居留地の中心にある松が枝公園にある大きなイチョウの木をクリスマスツリーにしようと思いついた。電飾を買い集め、青年会メンバー自ら休日返上で設営を行ない、日中は子供が遊ぶ児童公園が夜はクリスマスツリーとイルミネーションによって光輝くスポットとして大変身を遂げた。

 2007年、松が枝公園クリスマスイルミネーションが5周年を迎える年、メンバーから「今年は点灯式で歌おう!」という声が上がり、その日限りの「合唱団」を設立した。「地域のおじさんたちが本気で合唱する姿は子供たちに大受けし、大好評だった」と桐野さんは笑顔で振り返る。

 意外なことに、歌ったメンバーたち自身が大きなやりがいを感じ、「居留地を文化的に発展させるためにもこの合唱団を育てよう」という話になり、正式に「長崎居留地男声合唱団」が設立されることになった。桐野さんは団長として活動の主軸を担い、県内はおろか、県外に招待されるほどの腕前を持つ人気の合唱団に育て上げた。現在では、「長崎居留地女声合唱団オルテンシア」や「長崎居留地キッズコーラス」なども誕生し、「居留地ミュージックフェスタ」が開催されるなど、居留地ではことあるごとに音楽が奏でられる街となった。

 今日も桐野さんは長崎居留地の土台を守り続けながら、表現の場として発展させることに尽力し続けている。

あなたにとっての「長崎居留地STYLE」とは?

 「居留地で暮らす人が文化を創り出す拠点」

 「居留地に関わる全ての人がそれぞれの感性で文化を発信し、若者が挑戦する拠点にしたい。これまでも、そしてこれからも。『文化的な香りのする居留地』を私たちの感性で表現し続けたい。」桐野さんは目を輝かせながらそう語ってくれた。

文:森 琴絵 取材日:令和6年3月11日

桐野耕一

桐野耕一(長崎居留地歴史まちづくり協議会会長、(NPO)長崎コンプラドール理事長、長崎居留地まつり実行委員会委員長)

市民プロデューサーとして「長崎さるく博」を成功に導いた「まち歩きの達人」。長崎居留地エリアの歴史文化を知り尽くしている。最近は、長崎居留地歴史まちづくり協議会会長や長崎居留地まつり実行委員会委員長を努めるなど、若い世代と一緒に長崎居留地の歴史を生かしたまちづくり活動を推進している。